2026/01/22
理論的飽和とは、新たなデータを収集・分析しても、既存のカテゴリーに新しい情報が加わらなくなった状態を指す。グラウンデッド・セオリーにおけるデータ収集の終了判断基準だ。
しかし、この判断には根本的な難しさがある。理論的飽和は、後からしか分からないのだ。
飽和点は事前に予測できない
たとえば、10人目のインタビューで理論的飽和に達したとする。
だが、それが分かるのは、11人目、12人目とインタビューを重ねて、「既存のカテゴリに新しい情報が加わらなかった」ことを確認した後だ。10人目の時点では、まだ飽和したかどうか分からない。
つまり、理論的飽和は結果論でしか判断できない。
「10人目までのインタビューで理論的飽和を迎える」と事前に予測することは不可能だ。研究テーマや対象者の多様性によって飽和点は変わる。やってみなければ分からない。
現実の研究には人間関係がある
ここで、理論と現実の乖離が生じる。
現実の研究では、インタビュー協力者を事前に確保している。日程を調整し、場所を決め、相手の時間を押さえている。研究協力への同意も得ている。
10人目で飽和に達したとしても、すでに11人目、12人目との約束がある。
その人たちに「もう必要ありません」と言えるだろうか。
言いづらい。実際のところ、言えない。
協力を約束してくれた相手に対して、「飽和したからキャンセルします」は礼を欠く。研究者としての信頼にも関わる。
結果として「余分な」インタビューが生じる
だから現実には、理論的飽和に達した後も、約束したインタビューは実施することになる。
これは無駄ではない。飽和を確認するためのデータとして意味がある。また、予想外の新しいカテゴリーが出てくる可能性もゼロではない。
ただ、理論上の「飽和したら終了」という原則とは、ズレが生じる。このズレを認識しておくことが重要だ。
研究計画を立てるときに考えておくべきこと
理論的飽和の性質を踏まえると、以下のことを事前に考えておく必要がある。
- 飽和点は後から分かるものだと認識しておく
- 協力者への依頼は、飽和後も実施する前提で計画する
- 「飽和したから終了」ではなく、「飽和を確認できた」という位置づけで考える
人数を最小限に抑えたい気持ちは分かる。だが、現実の研究には人間関係がある。約束は守るものだ。
まとめ
理論的飽和は、後からしか分からない。10人目で飽和したかどうかは、11人目、12人目をやって初めて確認できる。
そして、現実の研究では、事前にインタビューを約束している。飽和に達しても、「もういい」とは言いづらい。
この乖離を認識したうえで研究計画を立てること。それが、理論的飽和という概念と現実的に付き合う方法だ。
→ 続きの問い:質的研究の理論的飽和。新しいカテゴリーを作れば飽和しない?

