2026/01/22
リフレクシビティとは、研究者自身の立場や価値観、前提が研究に与える影響を自覚的に検討することだ。実践方法として「研究日誌やメモに記録する」とよく言われる。確かに有効だ。しかし、一人で自分を振り返るには限界がある。自分のバイアスは、自分では見えにくい。
自己省察の限界
リフレクシビティの目的は「自分のバイアスに気づく」ことだ。しかし、バイアスとは、自分では当たり前だと思っていることの中に潜んでいる。当たり前だと思っているからこそ、疑問に思わない。疑問に思わないから、気づかない。
研究日誌に「なぜこのコードを付けたのか」と書いても、自分の思考の枠組みの中で書いている。その枠組み自体がバイアスを含んでいる場合、自分では発見できない。だからこそ、第三者の目が必要になる。
第三者といっても誰でもいいわけではない
ただし、第三者なら誰でもいいわけではない。親や兄弟、友人に見せても、研究の文脈がわからない。「なるほど」と言われても、それはバイアスの指摘ではない。
必要なのは、研究領域を理解している第三者だ。同じ分野の研究者、指導教員、研究仲間。研究の文脈を理解し、「この解釈は、あなたの経験に引っ張られていませんか」「この視点が抜けていませんか」と指摘できる人。そういう人に見てもらうことで、リフレクシビティの精度が上がる。
ピアデブリーフィングとの関係
この発想は、ピアデブリーフィングに通じる。ピアデブリーフィングとは、同僚や専門家と研究内容について議論し、分析の妥当性を検討することだ。研究者が陥りがちな思い込みや見落としを、第三者の目で指摘してもらう。
リフレクシビティが「自分で自分を振り返る」ことだとすれば、ピアデブリーフィングは「他者の目を借りて振り返る」ことだ。両者は補完関係にある。
査読の役割
最終的には、査読もこの機能を持つ。査読者は、研究の外側から「この解釈は妥当か」「バイアスが入っていないか」を検討する。著者が気づかなかった視点の偏りを指摘することもある。
ただし、査読は研究の最終段階だ。そこで初めてバイアスを指摘されても、大幅な修正が必要になる。研究の途中段階で第三者に見てもらっておけば、早めに軌道修正できる。
カテゴリー化にも同じことが言える
これはカテゴリー化の際にも同じことが言える。むしろ、カテゴリー化のほうがバイアスの影響を受けやすい。
カテゴリー化は、複数のコードを束ねて「これらには〇〇という共通性がある」と解釈し、名前を付ける作業だ。研究者の解釈の自由度が高い。
具体的には、以下の2つの判断が研究者に委ねられている。
- 分類の仕方:どのコードをまとめるか
- 表現の仕方:そのまとまりに何と名前を付けるか
どちらも、研究者が「当たり前」だと思っている枠組みに左右される。自分では疑問に思わないから、気づかない。だからこそ、カテゴリー化の段階で第三者に見てもらう意味がある。「なぜこのまとめ方なのか」「この名前だと、こういうニュアンスが抜けないか」と指摘してもらうことで、自分では見えなかった偏りに気づける。
実践のまとめ
リフレクシビティを実践するには、以下の組み合わせが有効だ。
- 自己省察:研究日誌やメモに、自分の思考を記録する
- 第三者の目:研究領域を理解している人に見てもらい、指摘を受ける
- 査読:最終段階で、外部の目による検証を受ける
一人で振り返るだけでは限界がある。第三者の目を借りることで、自分では見えないバイアスに気づける。
まとめとして
リフレクシビティの目的は、自分のバイアスに気づくことだ。しかし、自分のバイアスは自分では見えにくい。研究日誌やメモに記録することは有効だが、それだけでは不十分な場合がある。
研究領域を理解している第三者に見てもらうことで、振り返りの精度が上がる。ピアデブリーフィングはその具体的な方法であり、査読は最終段階での検証機能を果たす。一人で抱え込まず、他者の目を借りること。それがリフレクシビティを実践するコツだ。

